証明とか色々
査読の話ね
理論とか色々
体系の話ね
けど
社会通念や情状酌量も突き詰めれば誤りな答えだしてるケースもある
数学もの話ね
法律で裁くのに裁判官が必要なのは、これがあるから
規範と非規範の両方大事
数学も数学者が必要なのは、と
学問…「確度の高い推論をさらに確度の高い推論で覆し続け高確度を得る試み」→「人類皆同じ生きやすさを抱えてる」→「人類に良い悪いの良いに近づく」→「真理(学問)」
哲学…「確度の低い推論をさらに確度の低い推論で覆し続け低確度を捨る試み」→「人類皆同じ生きづらさを抱えてる」→「人類に良い悪いの悪いから退く」→「真理(哲学)」
学問…良悪
哲学…良悪
宗教…善悪…善に近づく
教育…善悪…悪から退く
矜持…「人類皆違う生きやすさを抱えてる」
啓発…「人類皆違う生きづらさを抱えてる」
哲学は啓蒙
数学学問の通念について
証明や体系を出して
何か話してよね
為になること
為になることキボンヌ
感想文や総合文の書方の違い無学ながら後学に
http://2chb.net/r/occult/1746594953/ ─
23poem
225/05/07(水) 15:01:24.69ID:31d2rApj0
☝ (・-・)☝
👁_👁 👍
👌(🔮🕳🔮)
うぇーい
皇族板:
〜参戦あり〜健全育成を考える(mordal→mostal→mondal)〜ちんぽとまんぽの濃厚接近〜法律
http://2chb.net/r/emperor/1746785902/ 不確定性や不変速度って→そもそも因果的に→破綻してるんだから→見える→訳でしょ見た目→改変されてるとかでなく元々
http://2chb.net/r/sci/1748313787/964-966/ 「有意に有効」とか「有意に無効」って、よく聞く言葉だけど、あれって法律の世界ではどうなんだろうって思う。なんか統計とか研究の世界で使われるイメージが強いよね。
例えばさ、ある法律ができたとして、それが「有意に有効だった」って言われたら、その法律がちゃんと目的を果たして、社会に良い影響を与えたってことだよね。逆に「有意に無効だった」って言われたら、全然ダメだったってこと。
でも、法律ってただの数字じゃないじゃん。人の生活とか、感情とか、もっと複雑なものが絡んでる。だから、「有意に有効」とか「有意に無効」って、どこまで当てはまるんだろうって疑問に思うんだ。
もちろん、エビデンスに基づいた政策って大事だと思う。でも、それだけで全てを測れるわけじゃない。例えば、すごく効果があると言われている政策でも、それが社会の常識とか、みんなの感覚に合ってなかったら、なかなか受け入れられないこともあると思うんだ。
「社会通念」って言葉があるけど、法律って最終的にはこの「社会通念」に沿っているべきなんじゃないかな。いくら数字上は「有意に有効」でも、多くの人が「それはおかしい」って思ったら、その法律は本当に有効とは言えないんじゃないかなって。
だって、法律って結局は人間が作ったもので、人間が守るものだから。統計の数字だけじゃなくて、もっと心とか、倫理観とか、そういう曖昧だけど大切な部分も考慮されるべきだと思う。
だから、「有意に有効」とか「有意に無効」っていうのは、あくまで参考の一つであって、最終的には「社会通念」という大きな視点から、その法律が本当に必要か、正しいかを判断するべきなんじゃないかなって、私は思う。
ステータス
博学…天然
医学…属性
科学…蓋然←通常の数値や割合の計算可ステータス
認識…言明
地政…黙然
体育…命題
↓これ実はバランス調整難易度高すぎなんじゃないか
↓低域「回る不安定」ではこの知力種類が適切なだけで
↓高域「回らぬ安定」の知力種類がより高くは必要では