
「新聞を、縦、半分に、折る?久しぶりに見た、こういうことする人。」
場所はJR王子駅のホーム。こういう場所で新聞を読む時はこうするもんだと、自然に体に染み付いていた。だから何に驚かれているのか全くわからない。
しかし確かに、周りを見渡せば、「何かを読んでる」人はいても、その手元にはスマホが握り締められているばかり。
新聞を読んでいる人がそもそもいない。いたとしても、狭いところだというのに、ガバーっとページを開いて読みふけっている。
昔は皆こうしていたのである。人口密度が高くお隣さんと肩触れ合う場所で新聞を読む時は、新聞を小さくするため、縦半分に折って蛇腹にして、ちまちま読んだものだった。
その癖が未だに抜けない。家で新聞を読むのでもない限り、自然と手が動き、縦半分に折って折り目をキュッキュと2回しごかないと気が済まない。
「昔はみんなこうしてたのにねぇ。なんで最近こういう人いなくなったんですかね?」
日本は老いた。
老いたがために、新聞は老眼をいたわるようになった。そのためには活字を大きくする必要がある。自然、段組は昔のようにはいかない。
大きな文字で余裕を持たせたレイアウトにしないと、読者が読める紙面にならない。
ましてや、退職して満員の通勤電車に乗る必要もなくなれば、新聞をわざわざ半分に折って読む酔狂な人などいるはずもない。
では、若い人はどうか? 考えるまでもない。もはや若い人は紙の新聞なんぞ読まない。同じニュースを入手するにも、紙の新聞より数倍便利な、スマホが手元にある。
とすると、「まだ朝の満員電車の中で新聞を読みたい」が「スマホで新聞を読むほどに若くない」という我々の世代が、新聞縦折り芸の最後の継承者とならざるを得ない。
「最近、駅のキオスクで新聞を買う人が少なくなりましたよね?」
事実、電車の中で新聞を読む人をとんと見かけなくなった。
なるほど確かに、紙の新聞を読み続ける我々は、もう絶滅危惧種なのだろう。
紙の新聞を読む我々が死に絶えたら、新聞はどうなるのだろう?紙の新聞は、印刷・流通・言論・消費という近代の重要な要素を支え続けてきた。
果たしてネットのニュースサイトはその代替になるのだろうか?
もし紙の新聞がネットへのシフトに失敗したら、この国の言論はいったいどうなるのだろう?
やはりここは我々おっさんたちが頑固に紙の新聞を読み続け、消費者としてこの国の言論を支え続けてやることが必要なんじゃないか?
いや、そんな心配は無用だな。
官邸のいいなりになって、内部告発者の下半身スキャンダルを垂れ流す読売新聞を見ればいい。
新聞の方で、自分で死にたがってるじゃないか。
http://www.gentosha.jp/articles/-/8040